半沢直樹ものまね「ダメ沢直樹」は人生を倍返しする「ポケットの中の闘争」〜最弱人生の変え方〜

半沢直樹など堺雅人さんのコスプレものまね芸人ウェルダン穂積が、金も時間もない最弱の人生を、アニメ、映画、読書、YOUTUBE、その全てでライフハックして人生を変えるために奮闘しています!

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秋葉原カフェ・トリオンプ文化祭レポ「これが本当の文化祭」

秋葉原カフェ・トリオンプ文化祭レポ「これが本当の文化祭」

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毎年この時期に文化祭を開いているカフェ・トリオンプ
毎年ちょこっとだけ顔出して挨拶したり
 
飛び入りで漫才をやらせてもらったりしてきました。
 
 
ほとんど寝ないで顔を出して
そこからぶっ通しで昼から夜8時まで
 
出し物をみたり
ご飯を注文したりして過ごしました。
 
東日本大震災の教訓から学ぶ防災クイズの講義があり
これもすごく興味深かった
 
そして「維新隊ユネスコクラブ」の広報としての活動もしよう、と
飛び入りコーナー(いきなり飛び入りでなにかやる、という時間がある)
 
でいきなりマイク一本で告知と「ものまねで告知」というのをやらせていただきました。
(「アムロとシャアが胸キュン!GOMI拾いの告知をやってみた」(;'∀'))
 
防災クイズのレポの方は「胸キュン!GOMI拾い」の広報ブログに詳しく書きます。
 
 
で・・・・
 
いきなり今度は自分で作詞作曲した人が歌を披露し解説したり(いつもカフェでお会いする人なので
初めてきちんと作品に触れることができた)
 
「エレキギターの仕組み」をいきなり解説する講義が始まったりする。
 
いきなりすぎて脈略がなく、
それがまた「あらびきパフォーマー」(「あらびき団」より)のようで面白い
 
でフェンダー社とギブソン社の開発した技術を
いきなり一つのギターにぶっこんだ革新を起こしたのが
 
・・・ダレだ?
誰か忘れたけど、
40年も前に発明されたサウンドが今もってまったく古くない。
 
そんなすごいことをしたことが凄い!ということだ。
 
僕はこれを聞いて、
パフォーマー、クリエーター、が画期的発明をして
表現の仕方を残す、とういことがありえること・・・・・
他にどんな可能性があるだろう?と思った。
 
こうして文字で表現するのもTwitterだったりブログだったりほかのなにか、だったり
画期的な表現があるのではないだろうか?・・・
 
 
 
・・・・そんなことを考えていると
今度はアイルランドの妖精の文化の話をする人が登場し
それをモチーフにした自作の曲をギターで演奏しはじめる・・・・
 
すごい、すごすぎる。この人たちはなんなんだ。
 
 
「僕になにができるだろう?」
 
なんでもいい・・・楽器じゃなくても、腹芸でも、顔芸でも、
なにかができる、ってことはすごいな、と思った。
 
 
「口笛ウクレレおじさん」が今度は現れ、
 
口笛でアニソンを吹く・・・これが超斬新でハマる曲はとにかくハマる。
 
しかも口笛教室というものに10年通い続けてきたというからすごい。
 
さらに口笛の世界大会が今度開催される(*‘∀‘)
もう意味が分からないよ・・・・
 
「文化」とはなんなのだろう・・・
 
人間の多様さに驚く
 
社会、は社会として人間の一面的な部分しか必要としない、
それがいかに一人一人を平たくしてしまうことか。
いかに窮屈な人間観になってしまうことか。
 
 
毎年「ベルサイユのばら」の講義をするコスプレパフォーマーの方も健在(*´ω`)
 
 
途中にいたピアノ演奏の女性がいきなり
コンサートホールレベルのショパンを弾き始めて度肝を抜かれた・・・・・
 
いきなりすさまじいのが出てくるとガチで驚愕する。
 
グランドピアノでやるレベルのものなのだろう。
もはやキーボードに繋いだアンプが音割れしはじめ、
 
ガンダムの性能では追いつかなくなるアムロのよう・・・・だれかこの中にモスク・ハン博士はおりませんか!( ゚Д゚)
 
いったい何者なのだ・・・(30年もピアノを習ってきたそうな)
 
人間の洗練された技、というものはすごいものだ。
 
途中店長の6歳になる息子さんが入ってきて少し騒ぎ始めた・・・
超演奏中のなか邪魔しはじめるかみんながヒヤヒヤしていた・・・・
これで乱入し始めたらもはやコンサートホールでさえみられないすさまじいものが始まるところだった(;'∀')
 
 
 
 
最後はコーラスを入れた歌のパフォーマンス。
 
ラストの歌で
映画「風立ちぬ」の主題歌「ひこうき雲」を聞いたときには普通に涙出そうになって大変でした・・・
 
人間ある程度生きてくると、
顔見知りでこの世を去った人がいるものだ。
 
そうした時、歌のように夭折ではなかったとしても
この人の生きた世界の意味、を考えると、
 
こんな世界でいいのだろうか、と思ってしまう。
世界といっても広い意味ではなく、その人がいた、この居場所、が
 
心優しきもの、にならなくていいのだろうか、という意味。
 
 
僕にも何かができるといい。