今日くらいは尾崎豊を聴く
と、いうことで尾崎豊の命日
もういつからだろう、
歌というものが何なのかずっとわからない。
歌詞というものを真実の哲学として捉えてしまおうとすると
なかなかそんな硬質なものはない
そんな硬化した狭量な心を癒す歌はなかなか見つからない
それでもなんかまた、最近尾崎豊に戻ってきた気もする。
よくわからんが、こんな日くらいはミーハーな気持ちで、
尾崎豊でも聴いてみながらこうして文章を書いてみる。
月が時折、地球に近づき大きく見えるように、
心の巡りがきっと感性をしなやかにする時もあるだろう。
と、いうことで
いつになれば俺は這い上がれるだろう( ̄▽ ̄;)