自己啓発書嫌いが嫌い
僕は自己啓発書が嫌い、とかいう言い草がキライだ。
なぜなら、ほとんどの人がそんなこと言っているから、まずそれ自体がなんら創造性がない
自己啓発本自体が胡散臭いのは読んでいる人はわかっている。
そう簡単に人間は変われないのだ。
だが、人間は変われない、わけはあるまい。
「その運用の仕方に大きなクセがある」のだ。
最近僕の中で第三次自己啓発本ブームで本当の運用の仕方を体得できそうだ。
読んですぐ変わるようなものはない。
カンフー映画を見て、自分が無敵だと思えてしまう高揚感で終わってしまう場合が多いだけなのだ。
僕は「努力と変革」を求め、
その知を探ろうとする自己啓発本を読む人が好きだし、僕も大好きだ。
ただ、自己啓発本という言葉自体がもはや手垢が付きすぎて語感が悪い。
だからビジネス書と言われたりするし
実用書と言い張ったりする。
「自己啓発」という目標自体がぼやっとしてえいて具体性がないので、その点が問題なのだろう。
うーん、でも考えると自己啓発という言葉は怪しい( ̄▽ ̄;)どっちだよ!
「アンチ巨人」という概念も
アレルギー反応のように、物事を瞬発力で判断するのはどうだろうか?
(アンチ巨人も情熱の在り方なので盛り上げるものも否めないが。)
明治時代に啓蒙活動などが盛んだったが本来はとても素晴らしい概念だというのにもったいない。
あなたもアンチ巨人、アンチ自己啓発本、と
言っていないだろうか。
アイドル好きの地下芸人「アンチ人間」はいま、元気だろうか(いや、なんの話(;´д`)