半沢直樹ものまね「ダメ沢直樹」は人生を倍返しする「ポケットの中の闘争」〜最弱人生の変え方〜

半沢直樹など堺雅人さんのコスプレものまね芸人ウェルダン穂積が、金も時間もない最弱の人生を、アニメ、映画、読書、YOUTUBE、その全てでライフハックして人生を変えるために奮闘しています!

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劇場版「Gのレコンギスタ Ⅰ」レビュー。掛け値なしにおもしろい。そして「仮面はダサい」

2014年のテレビシリーズを映画5部作として追加再編集して
やりたかった本当の形を世に出そう、というもの。
 
軍事技術の発展は争いを生むというので技術の発展をタブーとする世界
軌道エレベーターのような技術で地球は
フォトンバッテリーというエネルギーの供給を受ける。
青年ベルリ・ゼナムは争いと政治に巻き込まれ、
戦いと出合いの中、成長していく物語。
 
 
富野由悠季監督のインタビューニュースをみて
 
え?もうやってるの!?と知り
 
富野さんの
「ニュータイプを生むという試みは、説教臭く失敗した」という
監督らしい尖り続ける主義主張を全面に語る姿勢と、
 
子供たちに向けた、と何度も語るところから、
どうなるんだろう?と、ちょこっと不安になりつつ観た。
 
まず、上映劇場の異常な少なさ、がさらに期待値を下げてしまった。(千葉でも1つ、東京でも2つ、しかも2週間の限定上映)

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監督はこのポスターの絵柄と空気を何度も主張されている
・・・・が、何の心配もない
 
普通に、おもしろい。
元々が良い作品だったのだろう。
TVシリーズを2回以上は見たけれど、
 
特筆すべきは
「生々しさ」である。
キャラクターの自然な口ぶり、と仕草。
仮面の男を見た瞬間に「ダサ・・・」という台詞。
 
常に傍で仕事をしている大人。
 
富野監督の言葉への敏感な感性が生むやりとり
「母は仕事のことしか考えられない人間ですから」(主人公ベルリ・ゼナム)
に対する台詞が
「それは子供の発言だよ」(メガファウナ艦長)
 
というZガンダムのカミーユを思わせる台詞に対し、現実の母の厚みを一言で
語らせる。
 
「あの人は・・・・」
と死んだ人を愛おしむアイーダ(姫さま)に対し
「神にでもなれる人だったのかな?・・・」(クンパ・ルシータ)
「そんな極端な・・・」と我に返らせるやり取りの一つ一つが
富野監督の言葉、「作家としての感性」が完全に出ている。
 
私が思ったのが
「そういう気分でいるから、、、殺し合うようなことが起きるんです・・・・」
 
と斬新な平和主義を体現するベルリが漏らす言葉(心の中で呟く)から
この「作品の躍動するリアルな生々しさ、肉感」こそが
 
ニュータイプではない
私たちの生きる世界の、
オールドタイプを理解し会える力
 
「空気」「気分」なのだと思った。
 
技術は全て「ユニバーサルスタンダード」という設定で誰でも自由に使えるものを受け入れるベルリ。世の中は便利に繋がっている。
 
 
懐かしいオープニングテーマと
エンディングの
「元気のGは始まりのG〜」と
 
わかりやすく元気な歌が使われているのが良い。
 
導入とエンディングと次回への、予告にも
斬新な演出があるとさらに良いと思うのだけれど、
 
仮面がダサい( ̄▽ ̄;)ように、
 
ダサさの向こう側にある格好よさ、面白み、こそが
醍醐味だとも言える。
 
子供に伝われば良い、5、6人に伝われば、と
半ば大人に絶望しているような言葉を富野さんは語るが、
何の心配もなく、これは伝わる。
 
ただ、伝わることと、ビジネスシーンに乗ることはまったく別の力なのだと思う。
 
この作品が5部まで決まっていることが何より幸いである。
 
結論として
この作品はガンダムへのアンサーになっており、
 
・「ニュータイプに対し、生々しい世界と感性を提示している」
他人がいるのにコクピットで用を足すトイレシーンに流れる曲(消音機能)のダサい感じ(となりで記憶喪失の少女ラライアが笑う)が、この世界を暗示しているようであり、これを描くことがすごい)
 
・「仮面」に対し「ダサい、始めから正体という設定すらない」という
リアル。
 
・「戦争」に対し「心の底からの平和を悟っている主人公ベルリ」
(あの人は、あのことを覚えていないんだ・・・だから僕を叱れる(殺されかけた恐怖で抵抗した。それにより相手パイロットは絶命する)が存在する。
二回見てハッキリわかるが、暢気に見えるベルリの手はこの時を思い出し怒りか恐怖か、震えている。
 
完成された起承転結を打ち壊すドラマ性の在り方を提示
(後半でベルリの恋愛物語が、あれ?と宙に浮く)
 
ダサいを連呼してしまったが
作画のクオリティもキャラクターデザインも演技も何一つダサくない。
 
ニュータイプ論の答えは
「ダサさの超克、つまり理解」なのかもしれない。
 
 
こんな風に幸せに昇華していく作品を見られるのは幸せだ。
 
それにしてもモビルスーツのネーミングセンス
「ヘカテー」を聞いた瞬間・・・秀逸すぎる。