劇場版「Gのレコンギスタ Ⅰ」レビュー。掛け値なしにおもしろい。そして「仮面はダサい」
2014年のテレビシリーズを映画5部作として追加再編集して
やりたかった本当の形を世に出そう、というもの。
軍事技術の発展は争いを生むというので技術の発展をタブーとする世界
軌道エレベーターのような技術で地球は
フォトンバッテリーというエネルギーの供給を受ける。
青年ベルリ・ゼナムは争いと政治に巻き込まれ、
戦いと出合いの中、成長していく物語。
富野由悠季監督のインタビューニュースをみて
え?もうやってるの!?と知り
富野さんの
「ニュータイプを生むという試みは、説教臭く失敗した」という
監督らしい尖り続ける主義主張を全面に語る姿勢と、
子供たちに向けた、と何度も語るところから、
どうなるんだろう?と、ちょこっと不安になりつつ観た。
まず、上映劇場の異常な少なさ、がさらに期待値を下げてしまった。(千葉でも1つ、東京でも2つ、しかも2週間の限定上映)
・・・・が、何の心配もない
普通に、おもしろい。
元々が良い作品だったのだろう。
TVシリーズを2回以上は見たけれど、
特筆すべきは
「生々しさ」である。
キャラクターの自然な口ぶり、と仕草。
仮面の男を見た瞬間に「ダサ・・・」という台詞。
常に傍で仕事をしている大人。
富野監督の言葉への敏感な感性が生むやりとり
「母は仕事のことしか考えられない人間ですから」(主人公ベルリ・ゼナム)
に対する台詞が
「それは子供の発言だよ」(メガファウナ艦長)
というZガンダムのカミーユを思わせる台詞に対し、現実の母の厚みを一言で
語らせる。
「あの人は・・・・」
と死んだ人を愛おしむアイーダ(姫さま)に対し
「神にでもなれる人だったのかな?・・・」(クンパ・ルシータ)
「そんな極端な・・・」と我に返らせるやり取りの一つ一つが
富野監督の言葉、「作家としての感性」が完全に出ている。
私が思ったのが
「そういう気分でいるから、、、殺し合うようなことが起きるんです・・・・」
と斬新な平和主義を体現するベルリが漏らす言葉(心の中で呟く)から
この「作品の躍動するリアルな生々しさ、肉感」こそが
ニュータイプではない
私たちの生きる世界の、
オールドタイプを理解し会える力
「空気」「気分」なのだと思った。
技術は全て「ユニバーサルスタンダード」という設定で誰でも自由に使えるものを受け入れるベルリ。世の中は便利に繋がっている。
懐かしいオープニングテーマと
エンディングの
「元気のGは始まりのG〜」と
わかりやすく元気な歌が使われているのが良い。
導入とエンディングと次回への、予告にも
斬新な演出があるとさらに良いと思うのだけれど、
仮面がダサい( ̄▽ ̄;)ように、
ダサさの向こう側にある格好よさ、面白み、こそが
醍醐味だとも言える。
子供に伝われば良い、5、6人に伝われば、と
半ば大人に絶望しているような言葉を富野さんは語るが、
何の心配もなく、これは伝わる。
ただ、伝わることと、ビジネスシーンに乗ることはまったく別の力なのだと思う。
この作品が5部まで決まっていることが何より幸いである。
結論として
この作品はガンダムへのアンサーになっており、
・「ニュータイプに対し、生々しい世界と感性を提示している」
他人がいるのにコクピットで用を足すトイレシーンに流れる曲(消音機能)のダサい感じ(となりで記憶喪失の少女ラライアが笑う)が、この世界を暗示しているようであり、これを描くことがすごい)
・「仮面」に対し「ダサい、始めから正体という設定すらない」という
リアル。
・「戦争」に対し「心の底からの平和を悟っている主人公ベルリ」
(あの人は、あのことを覚えていないんだ・・・だから僕を叱れる(殺されかけた恐怖で抵抗した。それにより相手パイロットは絶命する)が存在する。
二回見てハッキリわかるが、暢気に見えるベルリの手はこの時を思い出し怒りか恐怖か、震えている。
完成された起承転結を打ち壊すドラマ性の在り方を提示
(後半でベルリの恋愛物語が、あれ?と宙に浮く)
ダサいを連呼してしまったが
作画のクオリティもキャラクターデザインも演技も何一つダサくない。
ニュータイプ論の答えは
「ダサさの超克、つまり理解」なのかもしれない。
こんな風に幸せに昇華していく作品を見られるのは幸せだ。
それにしてもモビルスーツのネーミングセンス
「ヘカテー」を聞いた瞬間・・・秀逸すぎる。