半沢直樹ものまね「ダメ沢直樹」は人生を倍返しする「ポケットの中の闘争」〜最弱人生の変え方〜

半沢直樹など堺雅人さんのコスプレものまね芸人ウェルダン穂積が、金も時間もない最弱の人生を、アニメ、映画、読書、YOUTUBE、その全てでライフハックして人生を変えるために奮闘しています!

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さあ、燃えられるか?日本のサッカー #soccer #nippon



よくわからんがなんだか現実過ぎる
現実を突きつけられたような印象がある。

ちょっとその前に、

サッカーとはメンタルがいかに大事か、という・・・・
すべてプレーに出てくる。

果たして本当にそうなのだろうか、
いや、でもそうなのだろうとしかいいようがない。

それが前回王者スペインの敗退だという。

前の試合で大敗した結果が選手を臆病にさせてプレーに
自信が乗らなくなる。

サッカーはこうした方がいい、というのはわかっているはずの理屈がなぜか
できない。

不思議だ。

さあ、日本代表、自分たちのプレーができたのだろうか。
みなさんはどうみるだろう?・・・

出来た、ともいえるし、できてないとも言える。

個人的には大久保選手が見せた
ひたむきなプレーが中田ヒデや本田が良い時に見せる
ものに通じていて感動した。

なんとも奥歯に物が詰まったような、なんだか煮え切らない空気が漂うのは

「レッドカードで退場して一人欠けたギリシャ」の事実。

どう考え立った日本有利、なはずだけど、どうにもあれが
本当に有利だったのか?という疑念が拭えない。

同日のコートジボワールが敗れて、コロンビア勝利の状態からもどうしても勝ちたかった日本
ギリシャは守りをより強固にする作戦をとるしかなくなった。

一人欠けている状態の相手に対して
ガンガン攻めて逆にカウンターで一点取られる、というのは実は意外に良くある・・・
だが、それも心理戦のような気がする。

遠藤選手いわく
「相手の想像力を上回るプレーをしなくては点が入らない」

・・・・
果たして、そんな難しいことができるのだろうか。

皮肉にも日本サッカーを描くキャンバスは狭くなっていた。
ギリシャが攻めてきて隙を作るということが考えられないからだ。

闘志、

誰にだってあるだろうし、誰もがわかっているはずだが、
このワールドカップでは闘志のないプレーは通用しない。
なんとなく見ているとそんな気がしてならない。


なんだかミーハーな期待と
希望を背負わせてしまったが、
いや、それがこのワールドカップの醍醐味とも言えるくらい大事なものであるが

僕たちはなにをどう思えばいいのだろう。

最後の戦いにまだグループ突破の希望は、ある。
それはある意味で救いだ。

ただ、ギリシャとコートジボワールでコートジボワールが勝ったら突破は消滅するという
自力突破ができないというのはなんとも苦しい。

なんだろう、

僕たちは、どう燃えればいい?

そう、なんとなく水をさされたのだ。

レッドカードなんていらなかった。ましてや、やけに厳しいイエローの連続で相手も可哀相なくらいのレッド。
かと思えば、その反動か、後半やけに笛を吹くのに慎重になった。

これはあくまで僕個人の印象だが、
正々堂々やりたかった。

みんな、吠えたか?
大久保は吠えていた。

日本サッカーの片鱗は見えた、が
まだまだ勝敗の向こう側にあるものまでは見えなかった。

それも、結果論、か。

解説もすべて「結果論ですが」
と前置きをしなくてはいけないのだろう。

結果論を超えたところにあるもの、というのはないのだろうか。

僕は斎藤学のドリブルというものを見てみたかった。

堅守を壊すにはドリブラーが必要だ、というのは各所で言われていた、
「最終兵器斎藤さん論」。

これもあくまで一面に過ぎない。

遠藤と本田がフリーキックを蹴るときに、

僕は
「ああ、サッカーを楽しんでいるな」

と思った。
それは単純に楽しくプレーするというよりは
自分の中の闘志をぶつけられる喜びと集中力のことだ。

その逆が恐れているという状態。
もしくは「惜しかったなー」とどこかで他に頼ろうとしている状態だ。

泣いても笑ってもどこかで終わりは来る。
それは次の試合になってしまうかもしれない。
むしろそれが濃厚であり、覚悟は必要だ。

だから、本当の意味で燃えるんだ。

「本当の意味でしか燃えられない」覚悟がいる。

描くものが絞られた、
下手な結果に縛られずにすむ。

幸い、最後の試合は全チーム同時に開始される。
駆け引きはいらない。

日本のサッカーは何を残すだろう。

俺は、燃える!