議会のセクハラ発言の単純化はどうなのだろう?
セクハラ発言が掘り返されている。
けれど、
実態としてどれほど相手を本気で
いけない、と思っているのだろう。
あの場で言ってはいけないような空気を作るのは大切だ。
それはよいことだと思うのだけれど、
人の心のしなやかさを無視して
ただ女性にああした発言をすることが
ダメで、言葉その物しかとらえられず、
女性は反射的にこうしたものに立ち上がり抗議するという
構図を単純化することは必ずしも正しいとは限らない。
あんな発言をしたりしないけれど、僕はこの流れも
女性を単純化させていないだろうか、と思う。
政治もメディアも複雑な部分は伝えないという体質そのものが
結局単純化させてあとはよい、という帰結になるのだろう。
単純化させて議題にすらならないことが
よくないのかもしれない、とすれば、それはそれでよいのかもしれず
大きな流れに流されていくつかのひずみが生じるのは世の常。
だとしたら、いいのか。
複雑なことを考える装置、というのがそれぞれの心の中、たとえばこんなネットのひとつ、
身近な会話の中ということになるのだろうか。
そんなところから始めなければいけないというのが、
覚悟なのだろう。
そんなところから始めなければいけないというのが、
覚悟なのだろう。
赤いマフラーは愚者の徴
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