ワイドナショーでも語られる相模原市の事件「繰り返さないための祈り」
相模原市の事件、
もはや日々のニュースで詳細が報じられるたびに心傷める人のことを想う。
ワイドナショーでは活発に真に迫る意見が述べられていて
「何年かに一度起きてしまうことをどうすれば止められるか」
「オウムの時と同じ。もう事件を追っても意味がない」
「ただの悪と決めつけるのではなく、丁寧に紐解く」
「ここで意見を発信しても意味がない。遺された人へのケアが大事」
結局、分析をしてもケースバイケースの事例が出るだけであり
後手になる。
稚拙な思想と動機、矛盾は明らかなわけで、
切り取った部分はいかようにも解釈可能。
まず、犯行ができないように不審者が侵入できないようにする物理的システム面のケア。
そして心のシステム面のケア。
これは宗教レベルの道徳の浸透。
人間が生きる意味のある程度の集合知。
パラリンピック代表の選手がリオに行く前に絶対に献花をしておきたかった、という。
自分が不幸を生んでいるなんて、少しでも省みてしまうのかもしれない、と思うと
とんでもない出来事だと思う。
人間の生きる意味をそうとう未熟に解釈させる事件である。
今は強い言葉が必要だと思う。
言葉が意味をなさないならばせめて祈りたい。