ありのままに世界を見る、とは。
どういうことだろう。
世界をただ客観的にデータとしてとらえ
主観を入れないこと、なのだろうか。
人が心を主体として生きている限り、それをありのまま、とはいわない。
そして人間の認識に個々の限界がある限り、世界をまるまる認識などできない
となると、
ものごとの本質、本来の目的、意味をみつけ
不要なものを入れないこと
人の自由、幸せ、世界の美、心のありかた、
を知ることが、きっとありのままに世界を見る、ということなのだろう
ありのままの世界、の認識をどれだけ広く、深くできるか、
それはずーっとやり続けることなのだと、思う。
そのトリガー(引鉄)を僕は探している
(あ、なんか中二病みたくなった(;'∀')