アキハバラ大会議レポ「だから秋葉原」後篇 #akiba #アキバ
「たかがアキバ されど秋葉原」という書籍のタイトルにもした言葉、それには実は次の句があり
「だから秋葉原」という結論がありました。
いつか続編として書籍にできたらいいな、とぼんやりと考えてはおりましたが、言いたいことはそれほど多くなく、難解でもありません。
結局この先は実践の世界なのであります。
で、アキハバラ大会議があり、
様々なテーマで議論がされました・・・しかし、まず
例えば「福島の復興」と「秋葉原を盛り上げること」
同じような緊急性と必然性があるだろうか?
シビアに問いかけられた時、きちんと回答がないかぎり
なかなか誰も振り向いてくれないのではないか。
僕はこう思う。
「秋葉原は紛れもなく今も世界に誇るブランド力、発信力を有する」
「それゆえの歪みがあり誤解があり、規制もある」
「日本の経済が疲弊しつつある今、その突破口の一つとしてそれが使えないか?」
「観光業のフラッグシップとして、地域振興の理想のモデルケースとしての道が歩めるならば
爆発的に国中に拡散する、という可能性があるのではないか」
違う道を歩む、それも一つの手だろう
しかし、僕は
文化が、せっかくの芽を出した文化が、疲弊し消滅するのを見るのは寂しい
例えば、外国の観光客が秋葉原にきてコスプレイヤーが歩いていないのをみてガッカリしたとする。
だから歩かせてくれ、と簡単にいうわけではない。
過度な希求性で無茶ぶりされたって、難しいものは難しい、のかもしれない。
ただ、そこをうまく泳ぎビジネスや活性化させるなにかにできないか、その知恵を絞るのは無駄ではない。
池袋にも中野にも大阪の日本橋にも先をいかれたのかもしれない。
さあ、今こそ秋葉原も立つとき、
「だから秋葉原」
なのであります。
細かいアイデアは今は書きませんでしたが、たくさん方法はあるようです。
それと、もう一つつけたしで
ちょうど今、
秋葉原が舞台のアニメがやっていて、
面白い想像がふくらむ・・・
次回「AKIBA‘S TRIP(アキバズトリップ)に見る妄想都市秋葉原~秋葉原は妄想に消ゆ~」
に続く・・・・
「だから秋葉原」という結論がありました。
いつか続編として書籍にできたらいいな、とぼんやりと考えてはおりましたが、言いたいことはそれほど多くなく、難解でもありません。
結局この先は実践の世界なのであります。
で、アキハバラ大会議があり、
様々なテーマで議論がされました・・・しかし、まず
例えば「福島の復興」と「秋葉原を盛り上げること」
同じような緊急性と必然性があるだろうか?
シビアに問いかけられた時、きちんと回答がないかぎり
なかなか誰も振り向いてくれないのではないか。
僕はこう思う。
「秋葉原は紛れもなく今も世界に誇るブランド力、発信力を有する」
「それゆえの歪みがあり誤解があり、規制もある」
「日本の経済が疲弊しつつある今、その突破口の一つとしてそれが使えないか?」
「観光業のフラッグシップとして、地域振興の理想のモデルケースとしての道が歩めるならば
爆発的に国中に拡散する、という可能性があるのではないか」
違う道を歩む、それも一つの手だろう
しかし、僕は
文化が、せっかくの芽を出した文化が、疲弊し消滅するのを見るのは寂しい
例えば、外国の観光客が秋葉原にきてコスプレイヤーが歩いていないのをみてガッカリしたとする。
だから歩かせてくれ、と簡単にいうわけではない。
過度な希求性で無茶ぶりされたって、難しいものは難しい、のかもしれない。
ただ、そこをうまく泳ぎビジネスや活性化させるなにかにできないか、その知恵を絞るのは無駄ではない。
池袋にも中野にも大阪の日本橋にも先をいかれたのかもしれない。
さあ、今こそ秋葉原も立つとき、
「だから秋葉原」
なのであります。
細かいアイデアは今は書きませんでしたが、たくさん方法はあるようです。
それと、もう一つつけたしで
ちょうど今、
秋葉原が舞台のアニメがやっていて、
面白い想像がふくらむ・・・
次回「AKIBA‘S TRIP(アキバズトリップ)に見る妄想都市秋葉原~秋葉原は妄想に消ゆ~」
に続く・・・・