東日本大震災から6年
いよいよ、心の中で思い出せないものが多くなってくる
それは日々いろんなニュースの中、押し流されていくのであり、薄情なわけでもないのだと思う。
かなり強い意志で焼き付けないと、それでも薄れてゆくくらい接点を見いだせなくなる
社会の脆さ、科学への過信、
風評被害やいじめ、それらに対する建設的な眼差しを構築するだけのことを考えてこれただろうか?
綺麗事のことを綺麗事と言っているありふれた考え方がまったく狭い。
言葉や表現、感情までも追いやり伸びやかな心を次々と潰してゆくだろう
自分もだいぶ薄れつつあるなー、と思う。
まずはそこから考えてみたい