半沢直樹ものまね「ダメ沢直樹」は人生を倍返しする「ポケットの中の闘争」〜最弱人生の変え方〜

半沢直樹など堺雅人さんのコスプレものまね芸人ウェルダン穂積が、金も時間もない最弱の人生を、アニメ、映画、読書、YOUTUBE、その全てでライフハックして人生を変えるために奮闘しています!

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ついに完結!映画「ソロモンの偽証 後篇」~毒か薬か?本当の偽証~


毒にも薬にもならぬもの、そういった表現があるけれど、
この映画は確実に苦ーい薬になるような気がする

前篇だけ見たら毒で終わりそうだけど(;'∀')

とてつもなく観ながら、観終わった時に考える意味のある作品

ショッキング続きの前篇がどん底だったので
後篇はだいぶ安心してみれました

いじめで自殺に追い込んだ容疑をかけられる大出(おおいで)君が
序盤ですごーく芯をつくことをいう

『お前らなにはしゃいでんだよ!!』

そうか、前篇の気味の悪さはこれなんだ・・・。

これ年頃の学生が観たらどう思うのだろう

愛情を注いでも、信頼を得られない親
子供は親の言葉や生き様をみているから。

だけど、親にそのすべての責任があるとも思えない
すべてをカバーすることができるほど心は小さくないから。

「口先だけの偽善者なのかどうか、試されている」

偽証とはなんなのか?
偽証の数々の先にある本当の偽証とはなにか?

観終わった最後に、
ひとつだけすごーく、引っかかることがあった。


で、ここから先はネタバレを含むのでご注意を

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「感謝」と「謝罪」を発することができる場として
とても有意義な学校裁判でした

それはすごーく良いとして、この作品の要素として、
一人だけ絶対的になにも救われていない人物がいる

だって彼は相手に批難するだけしておいて
自分勝手に命を投げ出す

謝罪や同情はあっても、彼に対する共感は、彼の言葉を信じる、という
ことを誰もしていない気がした

『それで心は動かないよ!
だから口先だけの偽善者みたいなことしか言えないんだ!』

ただまず大前提として
キーワード「偽善者」があるけれど、
万能な「善者」なんているだろうか?というところ。

どう考えてもいない。

だからまず、結果論なので、罪も後出しになるから裁かれるべき人はいない

僕はこの「偽証」の意味を
「柏木君は本当は死にたくなんかなかった」という部分にあると思いました

「君みたいな偽善者が一番悪質なんだ!」という言葉も
本当にそう思っていたというよりは、ただの怒りであり、
その言葉をぶつけた後に起こすなにかに期待していたんじゃないだろうか。

全部を計算していたわけじゃないだろうけれど、
特に雪の日の夜の屋上で神原(かんばら)君に迫った時は「偽証」をしていたんじゃないだろうか。

そう思うととにかく柏木君が救われなかったことが悔やまれる


どう考えても神原君がカッコよすぎてなんか変な感じがした
だからラスト付近で、

神原君は自らを自分で裁くんじゃないだろうか?
そう思った

もしも裁判後に自分で裁いたとしたら
藤野(ふじの)さんの言葉は
彼の「心を動かさなかった」ことになる

偽証とはなんなのか?
という暗ーい終わり方になるんだろうなー、と思ったら、
意外と丸く収まって、よかった

いや、なんか丸く収まることに疑問を抱くこと自体がおかしいんだけれど、
ラスト付近は明るかった

結局、「口先だけでない」その行為「学校裁判」というものは
後に伝説になり「いじめも自殺もない」という結果を残すのだから

心を動かしたものとして本物になった。

だとしたら、フィクションである、あの作品自体が「きれいごと」の「偽証」なのだろうか。

そう考えると怖くなる

信じたいのは
柏木君の「死への希望と行動」は「偽証」だ、というところ。
そして確実にあったのは学校裁判でみせた各個人の「勇気」

と・・・ようするに
噛めば噛むほど味のでる、すんごい作品だ、ということです。
(わー、口先だけの言葉出た(;'∀')