「イマジンが突きつけるもの」
映像の世紀、
最後は、現代のテロ、そして
現代の誰でも共有、発信できる映像にゆきつく
そこで歌われる「イマジン」の連帯
こうなってくると、
僕たちがどれだけ
他人の痛みを「想像」できるか、
を突きつけられているようだ
自分の暮らしに直接的な害がなければ、
無関心でよいのか、
その無知が何を生むのか?
他者の痛みを想像できない社会がどこへ向かうか。
僕たちはイマジンできるだろうか。
これからの未来になにが必要なのかを、
感じる心、
それこそが今、僕たちのような文明社会に生きるものが必要にしているものなのだ、
と私は思う。