日常を走る、ということ。
日常をダラダラ過ごしたり
見直してみるともうほんとうに無駄ばかりだったりする、
そう思うたびに遣る瀬無い気持ちになり
自分に腹がたつことがよくある。
日常を究極的に作り上げ洗練していく、という作業はどんな地位のどんな貧乏人でも可能だ。
与えられた仕事(神様がもしもいるならば生き方)の中で究極の技巧を凝らして美を取り入れる。それが実は僕のやりたいことであり伝えたいことなのではないか、と放送大学を見ていて日常を生きていて、思った。
日常をダラダラ過ごしたり
見直してみるともうほんとうに無駄ばかりだったりする、
そう思うたびに遣る瀬無い気持ちになり
自分に腹がたつことがよくある。
日常を究極的に作り上げ洗練していく、という作業はどんな地位のどんな貧乏人でも可能だ。
与えられた仕事(神様がもしもいるならば生き方)の中で究極の技巧を凝らして美を取り入れる。それが実は僕のやりたいことであり伝えたいことなのではないか、と放送大学を見ていて日常を生きていて、思った。