「3.11とはなんだったのだろう?」
一日中、3・11について考えていた
別に真面目ーに考えていたわけではない、
ただただ、なんだったのだろう?
「朝まで生テレビ」のやりとりを思い出しながらいろいろ思う
5年たって、もう忘れてしもたんか!
と言われたらどうだろう?
出来事としての事実は
誰一人、忘れてはいない。
なにを憎めばいいのだろう?
あの時、突きつけられたのは、
科学への過信、
極限状態での行動、
自分たちの無力さ、
あたりだろう。
僕はただ単純に、大きな物語を共有できない現代で、
あの出来事だけは日本中のみんなが当事者として体験したのだと思う。
それを生かしたい、活かしてはどうだろう、と思う。
シビアな問題をはらむだけに本質的な議論が『朝まで生テレビ』でも剥き出しになっていた
リスクという数値にした言葉を掲げる科学、
感情と信頼、不信を掲げる市民、
そして戻ろうとしても戻れない生活をおくる被災地の声の重み、
それぞれがそれぞれにすれ違っていて、
そのすり合わせが必要なのだろう。
理論のすり替えやごまかし、事実の把握の程度なども
まちまちで、それゆえにまだまだブラッシュアップできることがたくさんあるように見える。
もう少し議論を一元化、可視化できればよいのだけれど。
それぞれが意見を持ち、それぞれが知識を持つこと、
それが我々にできる自分自身の、人間の弱さへの抵抗だ
堅苦しいことはない、
ただそのほうが本当の人の幸せや小さな美しさが見えるようになる、と私は思う。