続・ワールドカップ日本代表アナザーエピソード「長友の涙の理由と戦う意味」 #soccer
日本は、
ワールドカップで戦う意味を、表現できなかった
という、表現があった。
その意味。
ワールドカップで戦うということは
ただそれだけなら、それで終わりだ。
そこにかける情熱、夢、
プレイする意志などは本田の言葉通りいろんなところに出てくる。
それはただ結果だけに限らないのがとりわけ今回の胆だ。
オシムのように人生などに引き付ける場合
人が生きること、
ただ生きることと、
それを爆発させてすべてを一変させる
意識をもって取り組むことへの違いとなる。
テレビニュースなどで
最後の試合の翌日、長友が突然会見を中断して泣き始めたのを
見たが
それにはきっちりとしたエピソードがあって、
ザッケローニ監督が
「もう一回、ワールドカップを戦えるとしてももう一回、選べるとしても・・・私はここにいるメンバー、スタッフを選ぶと思う」
通訳も涙を流しながら最後の言葉を伝えた。(敗退の翌日の最後のランチ)
長友佑都はだから泣いたのか・・・。
こうしてみると
どうしたって
サッカーが厚みをもってドラマチックに思える
生きる意味を表現しようとすること、は
誰しもの日常にある。
Numberを読んでいて興味深かったのが
実はどの国も負けてしまったところには
反省と後悔と
これでよかったのか?という深い洞察が
どこにだってある、という事実。
そう、結果は結果でどちらもがんばっているから出るもので、
どう転ぶかは正直わからない部分もある。
そこからいろんな意味を導き出して、
なにかの糧にしようとする。
これがそれぞれの実存的な生、なのだと思う。
だからこうなると自分に引き付けられるものを真摯にとらえて
答えや意味を見つけ出すことこそが、結果よりもなによりも大事なのだということに
帰結するのだと、僕は思う。
大舞台にだけそれを見出すことは、あまりに安易だ。
日常に引き付けられるか、
それは簡単なようで難しく、難しいようで実はシンプルなのではないか。
ーーーーーーーーーーーーーー↓伝えたい情熱のたいがいを詰め込んだ私小説。
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