最近、臨界点という言葉が好き
臨界点、それはなにかが最大限にようするにマックスまで耐えられる値であり、それを超えるとなにかに変わる点、逆にいうとそこまでなら耐えられる点、数学でもあり化学でも使われる言葉ですが、
詳しくは化学では液体が気体に気体が液体に変わる点であり、そこまでいかないならどこまでもそのままでいられる点だという。
なぜ、この言葉にこだわるか、というと
人が幸福を求める上で
どこまで自分が苦しくても、自由がない、と思っていても、
工夫をすることでそれを侵すことができない解放点を見つけられる、と思うのだ。
(というか事実そうなのだ)
かつてブルーハーツの甲本ヒロトさんが「人を鎖で縛っても、心までは縛れんのじゃ!ざまあみろ!」
と言ったと思うが、これもまた事実なのだ。
不幸でも心で幸福と思うことはできる。
ただ、この逆もまた然り、なのがポイント
幸福なんて概念をそもそも気にしない、受け入れないというのも可能だ。
何が言いたいのか、というと
「臨界点がある限り、可能性がある」ということ。
そして「文明の利器、やサービスを使えばその臨界を迎えるまでもなく人は自由に生きられる」ということ。
スマホというかなり究極に自由なツールを持つことで実現する可能性が一気に広まった。
ただ一つ問題があり、どれだけツールがあり、工夫が広がっていたとしても、それを操るのは人間であり、個人であり本人である。
そこに踏み出す勇気と好奇心があるか、
自分の感情を制御できるか、が肝要である。
これまたなんでこんな事を書くのか、というと
全部繋がっていて、このブログそのものであり
自分の書いていたもの、書こうとしているものがなんなのかを突き詰めると
思想書なんじゃないか、と思い当たった。
次回「モンスターハンター:ワールド買ったけどやってない」に続く