京アニ放火事件、向き合う社会
こんなに凄惨で陰鬱なものをなぜ見つめなくてはいけないのか、
一日中考えさせられる
失ったものが大きすぎて
考えることも言葉を乗せることも
鬱屈ばかりを生む気がしてならない
祈りさえも落ち着かない。
テロと言われる事件として2007年の秋葉原連続殺傷事件が浮かぶが
こんな周期で大事件が起きては困る。
よく犯人を、自分たちとは違う人間として安心したがる心理が働き報道が過熱するが
今回の犯人の場合、
現時点の情報だと入れ墨に包丁コンビニ強盗
の前科あり、脅迫トラブルなど、実際に自分たちとは明らかに違う部分が多い。
かといって
貧困や社会復帰、
妄念の持つ怖さ、などから入ると
無関係ではないと言うことも可能。
社会は、文明社会はこれらとどう向き合うべきか。
どんな情報が後から出ようが
失われた命よりもシリアスなものはない。
感情を置いて
祈る