悪人
さすが世界の映画祭で賞を穫っただけあってか、
すんげーいい映画だった。
洋画のこうした殺人ものを深く扱うものよりも
派手さがないのがさらに日本らしく考えさせられるものになっていた。
群がるマスコミ、偏見、
「大切な人がない」人たち。
どちらにしても世間は本当の悪に焦点を当てない。
そもそも殺された女の子自体が軽い気持ちで人と接して
ずるい面を持っていたことが悪だともいえるように
できているところが悲しい。
「お前は悪くなかけん」
と娘の幻に話しかける父。
復讐の鬼になろうとする父が踏みとどまるのは
「大切な人」(奥さん)が待っていることを知っていたからなのだろう。
いくつか救いが差し伸べられていることに
感謝したくなるような、それほどに暗い映画だった。
これはねー日本人にしか作れない感じになってましたねー。
マスコミに辟易するばあちゃん(犯人役妻夫木君の祖母)を降り際に励ます
バスの運ちゃん。
去っていくバスに深々とおじぎをするばあちゃん、
なんてのは日本の風土ならではのいいおじぎだった。
最後の最後にも仕掛けが用意される。
それはブッキー妻夫木が
大切な人である深津絵里の首を絞めるという行為だ。
警官隊に囲まれてちょうどギリギリで取り押さえられる。
「俺はお前が思っているような人間じゃなか!」
流れからして明らかにフェイクであり、
「私、ずっと待ってるから!!」
と言っていた深津さんをわざと幻滅させるための行為なのだけど、確定的な証拠はあえて表現しない。
最後の最後に目を煌めかせて差し伸べた手を
深津さんは呆然と眺めるだけで手を差し伸べ返すことまではしない・・・これは観ている人に考えさせるためだ。
被害者に花を添えようとする深津さん
にタクシーの運ちゃんが偏見を押しつける。
「そうですね、彼は悪人ですもんね」
その後に時間軸を少し戻して
二人が一緒にいたときに眺める朝日に感動して涙を流すシーンが挟まれて終わる。
こうなるともはや物語のキーワードを連ねて最後に
「大切な人」
「悪人」
と見極めても彼が悪人ではなかったという確定的メッセージになる。
「本当の悪人とは?」
として
「女をたぶらかして実質死に至らしめる原因となったチャラ男」
と
「悪質な商法で大金をだまし取るおじさん」
は明らかに悪すぎるのでいちいち焦点は当てない。
では「マスコミ」は・・・?
これは明らかに人の気持ちも知らずにそれを踏みにじる存在として描かれていた。
では「あんなのは人間のやれることじゃない。悪人ですよね」と世間話をするタクシーの運ちゃんは?
「あんたの一緒にいる人は殺人犯なんだよ!私たちがどれだけ迷惑しているか」と深津さんの気持ちを理解しない友達だか家族だかは?・・・
本当の悪とはなんだろう。
しかし、そんな答えのでない遊技よりも「大切な人」(これはきっと恋人に限らないだろう)を思ったことがあるかどうか。
それがテーマなのだと思う。
「守るものがないことを強いことだと思うとる、
それじゃいかんのよ、人間は。」