どうやら哲学することがすきなことに気がついた
哲学の関連本を読んでいて
哲学とはみんながやっている
考え事とほぼ同義で
あれをする、ということはどういうことなのだろう?という
根本的な部分から構築することを思索することであり
それも哲学の顔のひとつであるという。
どうやら哲学書を読む、ということで刺激されることもあるが
哲学する、ということが好きなのではないか、と気がついた。
それはアニメとかゲームとか、それはなんなのだろう?
人の幸せとはなんなのだろう、といっつも考え続けていることに繋がる。
なんだか自分、というものの存在の考えに行き詰って
旅に、出たくなった(;´∀`)
(これかなーり病んでるね)
人は存在するだけで莫大なエネルギーを必要としている
そこにさらに欲望があって、またそのはけ口をやはり必要とする。
叶わぬ思いがあまりに多すぎた。
いや、誰もそうなのだろう
自分が主体となる世界はどこにあるのだろう。
だから人はゲームをすると癒さるときがあるのかもしれない。
そこだけは自分の世界だから。
自分がコントロールできることがあまりに少ないと自分がどこにいるのかわからない。
そんな時は少しだけうまいものを喰うといい。
と、いってもスーパーの千円寿司だけど。
千円でこれだけの幸せがある、と冷静になると落ち着く。