3・11から紡ぐべきものとは?あの時僕たちは・・・
7年たったらさすがに忘れる
忘れるだけの長い期間だ
当事者だったりすれば別だけれど忘れる
いったいこのぼんやりとした「忘れちゃいけない感」はなんなのだろう?と考えながら特番をみていた
そして、わかったこと。
東日本大震災がが我々に突き付けたものはいくつかのポイントに集約される
「津波の怖さ」
これはもちろんその通りで、油断していた部分であり、教訓を継承するべきなのだけれど、
大切なのは
遠い国ではなく「この日本で隣人が不幸に見舞われている」という事実、その痛みを分かち合おうとしたあの時の心、それが大事なのではないか。
そして当然「原発事故」もポイントになる
あの時ほど我々は今までの社会の在り方を見直そうと考えたり話し合ったりしたことはないんじゃないだろうか。ここは「政治」や「国の在り方」にまで及ぶことであり、あまり語り合う風潮がないからだ。
僕たちはあれほど怒っていたじゃないか。
でもそれは別に誰かがズルや罪を怒ったのではなく、発展を目指すばかりに盲目になっていた自分たちの社会の在り方に対してではないだろうか。
被災者に対しての誠意、それはなんだろうか。
誰だったか、いつだったか、
この震災は日本が変わる最後のきっかけだ、と言っていた。
こんな震災めったに起きないし、起こっては困る。だから、これをきっかけにしなくちゃいけなかった。
果たして僕たちは変わっただろうか。
継承しようとし続ける限り、まだ希望は残っている。
僕は一時期、「がんばろう東北」のステッカーを貼って仕事していたら「偽善者」や
「押しつけ」呼ばわりされたことがあるけれど、
例えばサッカーのチームのステッカーだったらそんなこと言うだろうか?
この心理の裏にあるのは
人は社会の善意の嘘に、実はうんざりしているのではないだろうか。
人の社会は本当に善なるものであるだろうか?
あの時、善意を見せた民意はどうだろう?
僕たちの社会は変われるだろうか?