人を幸せにする固執とは?仮面ライダーより
ずっと仮面ライダーをみている。
ついに昭和ライダー BLACK、さらに続編BLACKRXへといき、
マンネリの中に宿る大事なものを見た気がした。
それはwikiに書いてあった。仮面ノリダーというパロディに対して
苦言を呈し、まじめに作るのがバカらしくなる、という意見を考えていた。
もちろん今の時代、どれだけネタ消費できるか、は生き残る手段であり、そこから見える大事なものも得るものもある、というのがわかってきている。
僕自身芸人でありながら、迷ってしまうという失態を何度もおかしてきた。
キリスト教の勉強をしているんだけど、それとも通じる
茶化さない古きものの大事さ、がある気がした。
目が見えなくなりかけながらも、他人を案じるあまり独りで戦う南光太郎(みなみこうたろう)仮面ライダーBLACKRX。
僕は、固執や誤謬はひとつも必要ないと思う。それは人を不幸にするからだ。
ただ、人を幸せにする固執や古き良きもの、はあるのだろう。
と、いう気がする。
茶化すことに対しては、キリスト教の場合「戯れたりしない」ということでなにも絡まないという姿勢を取るらしい(キルケゴールによると)
僕の場合「長渕剛理論」というのがあって、
どれだけ茶化してモノマネされても本物が負けない力がある、というのを見てきた。
茶化されて変質してしまうものがあるんだとしたら一緒になって本物に辿り着けばよい。実存的にいうならば変質してすまったとしてもその、元の姿は無かったことにはならない。何度でも生成し続けて善いものならば信じればいい。
だから仮面ライダーは今日も戦い続ける!
というややこしいフォロー( ̄▽ ̄;)